今やしょうれんコンビはKing&Princeのメンバーのうちの二人で定着していますよね。
でも、この二人は関西ジャニーズJr.出身。
しょうれんって関西時代に生まれて言葉なんです。
もともとは関西ジャニーズJr.内でも違うグループに所属していた二人。
なぜこの二人が急接近したのか?
コンビ結成の瞬間を見ていた私が詳しくお伝えします。
平野紫耀を意識していた永瀬廉
関西ジャニーズJr.の中ではあまり存在感のなかった永瀬廉。
まいジャニも始まっていない頃は、カメラを向けられても何もできなかったなんて、今の彼を見ていると信じられませんよね。
話は逸れますが、ジャニーズwestの小瀧望も現在同じメンバーの濱田崇裕から話を振られても「声ちっちゃ!」ってなるほど喋れなかったんですよ。
今じゃアレですからね。
そんな永瀬廉が平野紫耀がまいジャニメンバー入りした時は、とにかく意識をしているな〜という印象でした。
年齢も平野紫耀の方が2つ年上で、ちょっと年上の新メンバーとなると興味をそそられたのかもしれませんね。
なので、ライバルとして見ているというよりも、かなり気に入っているという感じの見方です。
永瀬廉からの熱烈ラブコールから生まれたしょうれん
二人とも山下智久ファンということで歌いたい曲がかぶっていましたね。
しょうれんがまいジャニに出演していた頃は、関西ジャニーズJr.としてのコンサートとまいジャニのコンサートもあって、よく山下くんの曲を歌っていました。
Kin Kanとなにわ皇子でそれぞれ楽曲を担当していたのが、だんだんソロが歌いたい〜となって、その前に2つのグループをシャッフルして2人ずつで曲を担当しようということになりました。
で、「廉は誰と組みたい?」と聞かれて、永瀬廉は即効で後ろに座っていた平野紫耀の膝をポンと叩いたのです。
その時、西畑大吾が「やっぱり!」と言ったので、普段から平野紫耀と組みたいアピールがあったようですね。
Kin KanはKing of 関西の略でグループ名です。
平野紫耀、向井康二、金内柊真の3人で構成されていました。関西ジャニーズJr.内ではかなり人気のあった安定したグループでしたが、平野紫耀が東京進出し始めたあたりから自然消滅となりました。
なにわ皇子は永瀬廉、西畑大吾、大西流星で構成されたグループ。Kin Kanに比べると弟的存在のグループで、担当する楽曲も可愛らしいものが多かったです。常にKin Kanよりも一歩下がった立ち位置でした。Kin Kan同様、永瀬廉の東京での仕事が増え始めたことでいつのまにか解散になりました。
永瀬廉は「なにわ皇子」に不満だった?
「なにわ皇子」結成当時は、永瀬廉も本当に幼くて、与えられた楽曲に対して何の不満もなくこなしていたと思います。
でも、だんだんとイケメンに変貌してきたあたり、幼さ満開の大西流星や年上なのにいつまでもあどけない西畑大吾と組むのが嫌だったのでは?と思われるシーンがまいジャニでちょくちょく見られるようになりました。(あくまでも個人の見解です)
永瀬廉が「まいジャニ」で明らかに不機嫌な表情を見せたのが、2014年10月5日放送分の「Show Time」です。
ちょうど永瀬廉と平野紫耀が東京での仕事が増えつつあった時期でした。
「まいジャニ」でも、それまで中心的存在だった向井康二や金内柊真が脇にまわり、しょうれんがセンターを取っていました。
それが久しぶりに「Kin Kan」「なにわ皇子」の並びでのパフォーマンスになった回で、ファンもかなり湧きました。
楽曲は「Summer Dreamer」。
久しぶりに向井康二と金内柊真に挟まれて歌っていた平野紫耀は、何となくリラックスした雰囲気で、しかもチラチラと向井康二を見ているようなシーンが数回見受けられました。
センターステージから3人で客席に降りて行く時、金内柊真が平野紫耀の足にポンと触れて出て行くタイミングを教えているような場面もあって「Kin Kan」が復活したかのような雰囲気でしたよ。
ところがバックにいた「なにわ皇子」は永瀬廉が終始不機嫌な顔つきで、大西流星がそんな永瀬廉を気遣っているような感じでした。
大西流星の顔は明らかに引きつっています。
そのあと永瀬廉のアップが写るのですが、ものすごく不機嫌です。
アップからカメラが引いて全体を映し出すのですが、「Kin Kan」が前列に出て、永瀬廉が背後に回って「なにわ皇子」と合流するところもダラダラと歩いているのが、現在の永瀬廉からは想像できないような雰囲気です。
永瀬廉の平野紫耀へのこだわりを強く感じたShow Timeでした。
あれほど組みたかった平野紫耀とデビューできた今
今の永瀬廉は本当に大人になりましたよね。
プロフィールには東京出身となっていますが関西弁のままで、関西時代からのファンはちょっとホッとしているのではないでしょうか。
親友に西畑大吾の名前を挙げているあたりも「なにわ皇子」の絆を感じさせます。
大学にも進学し、デビューもできて公私ともに充実している永瀬廉。
King&Princeのメンバー内でも特に平野紫耀にこだわっている感じは全く見られません。
メンバーの中でも知的な感じで、トークは自分が引っ張らなければという気持ちも強いのではないでしょうか。
狭い「まいジャニ」のステージで踊っていた彼とは本当に変わってしまって、大人でキラキラしたアイドルになりましたよね。
まとめ
関西時代、しょうれんを作り上げたのは永瀬廉本人だったと言えると思います。
しょうれんと呼ばれたくて、平野紫耀とコンビを組みたくて気持ちの通り動いてきた永瀬廉。
デビューは難しいと言われる関西Jr.から飛び出して東京でデビューを果たした永瀬廉の選んだパートナーは正しかったと言えます。
平野紫耀は名古屋出身。
関西にそれほど強いこだわりもなく、すんなり東京に出て行くには平野紫耀と一緒が一番でした。
永瀬廉がそこまで計算していたかどうかはわかりませんが、頭の良い彼のことだから平野紫耀の出現で将来の設計図が見えてきたのは確かだと思います。
